【 ほろ苦い恋の思い出 】 

私が高校3年生の秋を迎えた時のことです。
陸上部のインターハイも終わり、3年生は部活の一線から離れる時期です。

国語の先生から突然、お呼びが掛かりました。

「沼田、お前は朗読が上手いし、声もやたらとでかい!
先生が指導するから学校代表で弁論大会に出場してみないか?」と。

その後、私は原稿を暗記する為、連日、大分川の辺で練習しました。
K先生の厳しい指導のお陰もあり、私は大分県予選を突破し、
何と大分県代表として全国高等学校弁論大会への出場を果たしました。

その年は和歌山県の高野山高校で全国大会が開催されました。
そこで出会ったのが一つ年下の沖縄県代表のMさん。

長くて綺麗な髪、可愛らしい表情、可憐で笑顔が素敵な・・・
まるでオードリー・ヘップ・バーンの生き写しのような子でした。

その時の引率は彼女のお母さんでした。
同じ宿舎(上智院という宿坊)でお互いが九州同士ということで
話も弾み、やがて故郷の話になりました。

そこで彼女のお母さんから「沖縄にいらっしゃる事があれば我が家に寄ってね」
と言っていただきました。
(純情なのか、バカなのか、当時の私はこの言葉を真に取ってしまいました)

弁論大会の結果は努力賞でした。
負けず嫌いの私です。
普段なら入賞できなかったことを悔しがるはずですが・・・。

このときは違っていました。
私の心はときめいており、そんな事より、「沖縄に来たら我が家に寄って」
その言葉がずっと頭から離れなかったためです。

そしてようやく、沖縄に行くチャンスがやって来ました。
高校卒業後、就職までの間、長い春休みがあったからです。

当時の私は家が貧しかった事から、親の力を借りずに読売新聞奨学制度を利用し、
働きながら自力で高校生活をおくっておりました。
もちろん、沖縄の旅費は全て自前で稼がねばなりません。

休みに入ると、毎日、日雇いの土方のアルバイトに明け暮れました。
朝から晩までガス管埋設の為の穴掘りです。
ツルハシやスコップを持って顔中、真っ黒になって、一日中働きました。

10年間の新聞配達で鍛えた身体ですから体力には自信がありました。
しかし、それ以上に彼女に会えるというその一途な思いが勝り、
過酷な重労働を全く苦に思う事はありませんでした。

沖縄へは私の陸上部の友人T君、そして私の弟の3人で行きました。
交通費節約の為、鹿児島からフェリーを使って確か24時間以上要し、
那覇港に到着。(太平洋の荒波は半端ではありませんでした)

彼女は沖縄の鮮やかな民族衣装をまとって待っていてくれました。
そして、私達は彼女のお母さんの車を借り、沖縄を一周しました。
(免許取立ての私達に車を託すお母さんの度胸にも驚きでした)

楽しい、夢のような時間はあっという間に過ぎていきました。
私は秘かに恋焦がれていた切ない思いを何とか伝えたくて・・・
そのチャンスを窺っていましたが・・・どうしても言い出せません。

清水の舞台から飛び降りるつもりでとっさに発した言葉が・・・
あろうことか・・・「肩つないでもいい?」でした。
せめて、手をつないでいい?なら分かるけど、キャンプファイアー
でもあるまいし・・・恥ずかしい限りです。

あの時の彼女の困惑そうな表情は・・・今もほろ苦い青春の思い出です。
私は恥ずかしさと情けなさが入り混じった複雑な思いで沖縄を発ちました。
風の便りでその後、彼女は結婚し、ヨーロッパに引っ越したとのこと。

もう一つ、ここで私の姉に懺悔しておかなければなりません。
実は沖縄の彼女はサイモン&ガーファンクルのファンだと聞いていました。

沖縄に向けて家を出発する際、私は姉が大切にしているサイモン&
ガーファンクルのカセットテープを盗み、彼女に喜んでもらいたい
一心でプレゼントしました。
彼女はとっても喜んでくれましたが・・・姉にはずっと黙っていました。

姉ちゃん、ごめん!
今度、10倍返しでお返しします。

沼田真清